「世界はシステムで動く ―― いま起きていることの本質をつかむ考え方」という本を読みました。
このブログの名前の一部分にもなっている「システム」についての本です。ところで、システムとはなんでしょうか?wikipediaから引用しました。
"相互に影響を及ぼしあう要素から構成される、まとまりや仕組みの全体"
本書で取り扱っている具体例としては、社会、経済、組織、環境などがありました。これらの複雑なシステムの本質の捉える方について書かれている本です。
以下、感想です。
まず、読んだら頭が良くなった気がしました。・・・いきなり頭が悪そうな感想がでましたね。
ただ、この本での考えは抽象的である分、適用範囲がかなり広いのは間違いありません。私の少ない人生経験にもいくつか適用できて、「なるほどなぁ」と思えたくらいです。
これからの複雑な問題に取り組んで行くときの考え方の良い基盤になると思います。
で、この本の中で一番印象に残った文がこちら
"ヒエラルキーの当初の目的はつねに、その発生元であるサブシステムがその仕事をより良くできるように手助けすることです。"
ヒエラルキーとは「階層構造」のことで、この場合はシステム全体とその中にある小さなサブシステムの関係を表します。例えば大学を一つのシステムと捉えるならば、学部や事務などがサブシステムに該当します。さらに学部の中のサブシステムとして、クラス、研究室などとも考えられます。このクラスのサブシステムとしては学生・・・と、このようにシステムにおけるヒエラルキーはほぼ無限に考えられます。それこそ、大学自体も社会のサブシステムにすぎません。
さて、なぜこの文が印象に残ったかというと、これまでの私の考え方(というより思い込み?)と逆の考えだったからです。
これまで私は無意識に「大きなシステムはその目的を達成するためにサブシステム、または要素を組み合わせてできている」と考えていました。これは工学的な考えで間違いではないはずです。
会社で例えると、まず会社があって、その利益を伸ばすためにたくさんの部署があると考えていました。つまり、階層構造の上部のために下部の要素が手助けしていると考えていたのです。
しかし、本書ではその逆、階層構造の下部のために上部のシステムが手助けをしていると、としています。これまでトップダウン的だった考え方だけだったのですが、ボトムアップ的な考え方もあるんだなと思ったわけです。
「美術」をシステムと捉えて引用文の考えを当てはめることもできます。鉛筆画を例にすると、結局鉛筆画は紙に付着した黒鉛をいかに魅力的に見せるかですよね。この黒鉛がサブシステムにあたります。味気ない言い方ですが、それは間違いないと思います。
その黒鉛を魅力的にするために線や濃淡に気を使いながら人を描いたり風景を描いたりします。といっても、「黒鉛を魅力的に見せよう!」と思って絵を描く人はほぼいませんね。
きっと描きたいモチーフ(人、風景など)をどう魅力的に見せようか、と考えているはずです。
・・・と、最後は美術の話になってしまいました。ただ、一見システムと関係なさそうな美術とも結びつけることができるあたり、この「システム」という考えは非常に汎用的かつ重要なんでしょうね。
下階層ありきの上階層の目的の発生というのは、確かに一般的に認知される階層構造の考え方とは逆行するもので、とても興味深いですね。
返信削除いまの状態で何か不便なことが起きた場合、それを解決するために1つ上の層となるシステムが発生することを考えると、生命の成長のようなイメージと重なって頭に浮かびます。
このシステム論の美術の応用についてですが、私には「黒鉛がサブシステムである」とはどうしても思えないのです。
システムは相互作用する要素の集合体なので、黒鉛をシステムとして捉えると、黒鉛のもつ要素を考えることになります。そうすると、その「黒鉛システムの要素」なるものは元素レベルの域にまで達し、1枚の絵の創作について素粒子のレベルまで加味していく必要があるとは到底考えられないからです。
絵をシステム論からみた場合、その最小となるサブシステムは「点」であり、点の要素を黒鉛として認知する方が自然かと思いました。
●システムの考え方の美術への応用について、自分自身が理解したかどうかを確認するために、例をあげて考えてみました。●
私は、数本の直線を使って、立方体を描きます。
このとき、「数本の直線」という要素の相互作用により、立方体という1つのシステムが構築されます。
立方体は「数本の直線」をよりよくするという目的をもたないため、描かれた立方体は単一システムで最小単位です。
立方体は観察者に立体感を与えるという「仕事」を行います。
ところが、描かれた立方体が凸なのか凹なのかが分からない、そのために私は影を追加して凸であることを強調させました。
このとき、「影」は観察者に立体感を与えるという立方体の仕事に対し、凹凸の曖昧さを払拭するという「手助け」を行っています。
よって、描かれた影はサブシステムである「立方体」とヒエラルキーの関係にあり、立方体を発生元として存在するシステムです。影自体も数本の直線で表現されるでしょうから、影というシステムを構築する要素さえ、立方体と同じく「数本の直線」であることに変わりはありません。
これは、「立方体があるから影が生じた」という解釈の流れにも合致しており、とても自然なシステム論的解釈です。
こんな感じで間違いないでしょうか。
インラインで返信します。
削除>このシステム論の美術の応用についてですが、私には「黒鉛がサブシステムである」とはどうしても思えないのです。
確かに黒鉛がサブシステムかって言われると、そうではない気がします。鉛筆画、というシステムを考える上では黒鉛をサブシステムと捉えるのは少々飛躍していました。松下くんがいうように最小単位、要素は点(極小な面)とするべきですね。この辺はシステムを考える上でに境界の大切さにつながっていますね。
>●システムの考え方の美術への応用について、自分自身が理解したかどうかを確認するために、例をあげて考えてみました。●
この考えで概ね合っていると思います。
ただ、「立方体」が「影」のサブシステムとなっている点に違和感を感じたので確認したいことがあります。
これを直線のみで立方体を構成するという前提で言葉通りに階層構造で表すと以下のようになります。
影
ー立方体
ーー直線1
ーー直線2
ーー直線3~12 (省略した。不透明ならもっと減ります)
松下くんの考えを私の解釈で整理すると以下のようになります。
影付き立方体
ー立方体
ーー直線1~12
ー影
ーー直線1〜たくさん
目的:直線を最小単位として立方体で立体感を与えたい
を前提として説明します。
まず、12本の「直線」で「立方体」というシステムを構築します。直線をランダムに並べるだけでは立体にならないため適切な配置で「立方体」という上位システムを構築したわけです。しかし、これだけでは立体感を与えることが出来ないため、影をつけようと「影付き立方体」に発展します。こうすることで、「影付き立方体」という上位のシステムがそのサブシステムである「立方体」の立体感を伝える手伝いをしていることになります。こうすることで、最小単位は直線であるにも関わらず、直線たちは上位のシステムの手助けによって目的を達成することができています。
このような考えで合っていますか?
いろいろと考えていたのですが、おそらく、人によってあらゆる解釈の仕方があるのでどれが一概に正解かということは分かりません。
削除が、ほぼえーしゅんの考え方と合致していることは確かです。
細かすぎるツッコミになりますがご容赦ください(笑)
>「立方体」という上位システムを構築
立方体は上位システムではなく、私は最小単位としてのシステムとして捉えました。なぜなら、立方体と直線の間にヒエラルキーが存在すると、立方体は直線の目的(仕事)なるものを手助けしなければならなくなります。直線の目的とは何かを考えると、ここがどん詰まりになってしまうような気がするのです。
ここは、直線をモジュールとしてとらえ、立方体というシステムを構築するためのものでしかないと捉えたほうが自然ではないでしょうか。
よって、
>直線たちは上位のシステムの手助けによって目的を達成することができています
ではなく、
「立方体は上位のシステム(影)の手助けによって目的(自分が凸の立方体である事実を示すこと)を達成することができています」
と解釈すると自然にみえるかと思います。
なんか立方体という字がゲシュタルト崩壊してきたので間違ってたらすいません(笑)
>境界の大切さ
まさしく、ですね。
要は境界線をどこに引くかなので、たくさんの考え方が出てくるのかもしれません。
いずれにせよ、絵を描くときに紙の上に描く線がいったい何のために存在するのかを考えるとき、このヒエラルキーとしての階層システムへの分解という概念は、かなり面白い解法となってきそうです。
細かすぎるツッコミに挑戦してみる(笑)
削除>直線の目的とは何かを考えると、ここがどん詰まりになってしまうような気がするのです。
私の考えでは、直線の目的は「立体感を与える」ことでした。
確かに違和感はありますね。すべての直線の目的が同じ訳ではないですし。
ただ、作品を作ることに置いて「この直線は何のために描くのか?」というのは描き手は意識したほうがいいんじゃないでしょうか。
それを意識することで、無駄な線がなくなり説得力が増すと思います。
>直線をモジュールとしてとらえ、立方体というシステムを構築するためのものでしかないと捉えたほうが自然ではないでしょうか。
この辺がシステム科学の面白さでしょうね。人の捉え方によって解釈が変わってしまう。
私の解釈は直線が「モジュール(または要素)」であり「最小のシステム」でした。
ちょっと補足。
削除>ただ、作品を作ることに置いて「この直線は何のために描くのか?」というのは描き手は意識したほうがいいんじゃないでしょうか。
直線の目的というのは「描き手の目的」が反映されたものだと解釈すれば違和感がない(のかな?)
この本ずっと気になっていてすごく読みたかったので驚きました .
返信削除"ヒエラルキーの当初の目的はつねに、その発生元であるサブシステムがその仕事をより良くできるように手助けすることです。"
すごく面白いと思いました..
この考え方に対し,川口くんも松下くんも工学や一般の認知する階層構造とは逆だと捉えていたようですが,私はむしろこちらの階層構造の捉え方の方が一般的だと考えていました.
理学と工学の違いはここが大きいのではないかと思います.
私は理学と工学はシステムとしての捉え方が大きく違うと感じています.
私元々専門が進化遺伝学だったので,視点もシステムとしての捉え方も理学的でした.
松下くんは生命の成長という表現をしていましたが,私はこの一文と2人の議論を読んで,「人間は遺伝子の乗り物に過ぎない」という比喩で有名なリチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子」を思い出しました.
〜遺伝子が自らをコピー(子孫)を残すという目的を果たすため,ヒトという乗り物を作った.〜
まさにボトムアップ的な考え方の代表例なのではないでしょうか.
基本的に理学研究の世界では,階層を跨ぐことが少ないような気がします.
例えばDNAと心臓という階層の違う対象を,相互関係は考えても対象として直接的に両方を扱って研究していく視点はないと思います .
なので私は大学院に入り,社会を工学的にシステムとして捉える視点を重視する研究室に来てから,考え方を理解するにとても苦労しました.
正直今でもよく分かっていない部分も大きいです.
ただ,ずっと不思議に思ってきたことがあります.
遺伝学にも手法として"順遺伝学”と"逆遺伝学"があるんですけど,
◼︎ある形質に着目し,その原因となる遺伝子を探っていくのが古典遺伝学の主流である"順遺伝学"◼︎
◼︎着目した遺伝子の発現を調節し形質の違いを調べることで,遺伝子の機能を探っていくのは"逆遺伝学"◼︎
私これはすんなり理解できたんですよ ね .
これもボトムアップとトップダウンで違うはずなのに理解できて,社会現象や工学となると,一気に理解できなくなってしまうのはなんでなのでしょうか.
なんとなく単純なトップダウン,ボトムアップの構造になっていないような気もするのですが,体系だってないと私は理解が難しいというなんですかね.
システムについて考えるとき,いつもひとつのシステムに対してトップダウン的な考え方とボトムアップ的な考え方を両方持つ柔軟な思考ができるようになりたいなと思います.修士にいるうちに,システムとしての切り取り方や視点の持ち方を上手くに変えられるような訓練をしていきたいです.
なるほど、理学の人にとっては自然な考えでしたか。
削除遺伝子の話は授業か何かで聞いたことはありますが、おもしろいですよね。ヒトという乗り物を作っただけでなく、より個体数を増やすために「社会」という大規模なシステムが出来上がったとも考えることもできますね。我々が生きている世界(社会だけでなく自然界も含めて)はすべて遺伝子を発生源とした上位システムなのかもしれません。
自身の研究室の研究方針がわかってないらしいけど、松下くんの書いた記事の「創作において大切な3つの要素とは」の考えに当てはめるとどうなりますか?この記事の3つの要素は研究にも適用できると思います。
例えば
(1)主題
・提案手法により省電力化が可能になる(工学)
・このアルゴリズムにより計算量を削減できる(工学)
・この物理現象はこの理論で説明できる(理学)
(2)戦略
・実験(実際に省電力化できるか、理論通り現象がおきるか)
・証明(アルゴリズムの計算量が削減できているかの裏打ち)
(3)技法
・実験のためのテクニック(科学実験の方法論、プログラミングなど)
・証明のためのテクニック(数学などの基礎理論)
研究にはいろいろな形態があるから一概には言えないけど、もしこれに当てはめることができないなら研究になっていないかもしれません。もちろん、研究になっていてもそもそも当てはめることができない可能性もあります。
正直なところ、俺もたまに「研究とは何だろう?」と考えることがあるけど、未だに考えがまとまりません。先輩や先生の研究がよくわからないこともあります。「研究とは何か?」を整理して体系化するのも面白いかもしれません。
なるほど、理学の人にとっては自然な考えでしたか。
削除遺伝子の話は授業か何かで聞いたことはありますが、おもしろいですよね。ヒトという乗り物を作っただけでなく、より個体数を増やすために「社会」という大規模なシステムが出来上がったとも考えることもできますね。我々が生きている世界(社会だけでなく自然界も含めて)はすべて遺伝子を発生源とした上位システムなのかもしれません。
自身の研究室の研究方針がわかってないらしいけど、松下くんの書いた記事の「創作において大切な3つの要素とは」の考えに当てはめるとどうなりますか?この記事の3つの要素は研究にも適用できると思います。
例えば
(1)主題
・提案手法により省電力化が可能になる(工学)
・このアルゴリズムにより計算量を削減できる(工学)
・この物理現象はこの理論で説明できる(理学)
(2)戦略
・実験(実際に省電力化できるか、理論通り現象がおきるか)
・証明(アルゴリズムの計算量が削減できているかの裏打ち)
(3)技法
・実験のためのテクニック(科学実験の方法論、プログラミングなど)
・証明のためのテクニック(数学などの基礎理論)
研究にはいろいろな形態があるから一概には言えないけど、もしこれに当てはめることができないなら研究になっていないかもしれません。もちろん、研究になっていてもそもそも当てはめることができない可能性もあります。
正直なところ、俺もたまに「研究とは何だろう?」と考えることがあるけど、未だに考えがまとまりません。先輩や先生の研究がよくわからないこともあります。「研究とは何か?」を整理して体系化するのも面白いかもしれません。
アドバイスどうもありがとうございます.
削除松下くんの記事に対する川口くんのコメントの中にある「なんとなくで決めるとなんとなくな絵にしかならないよ」という言葉,私もこれを読んではっとしました.
とりあえず現段階で主題がもてていないのだと思いました.
私は「とりあえず」がすごく苦手です.目的とか意図が明確に定まらないと走りだせない.
だけど社会科学の研究は「とりあえず」模索してみる中で見えてくることが大きいと教わりました.
体系だっていない学問だから,とにかく模索していく中で課題や目的が見えてくる.見えたと思ったら消える,そしてまた見える.
ここが私が合わないところなのでしょうね.
私はまだ主題がもてる段階まできていないのだと思いました.
リサーチクエスチョンが明確にもててないから,研究の段階にも至っておらず進まないのだと思います.
もう少し気楽に柔軟に考えられるようになる努力をしないといけないですね.
「研究とは何か」「科学とは何か」は私も考えます.
科学哲学って勉強したことありますか.この辺の問いについて考える学問だから,もしかしたら面白いかもしれません .
難しいけど,私ももう少し深入りして整理してみようと思います.
>だけど社会科学の研究は「とりあえず」模索してみる中で見えてくることが大きいと教わりました.
削除そうなのか。俺はかなり試行錯誤しながらの研究で、主題が微妙に変化することが多くて不安だったんだけどこの一文で少し安心しました。正直なところ、自分のやっている研究の方法に疑問があったので・・・。
きっと物理や生物などの古くからある研究分野も、最初は今の社会科学のような状況だったんだと思います。試行錯誤、偶然の産物による成果が大多数ではないでしょうか?社会科学も今はきっとそんな段階です。
科学哲学って言葉は初めて聞いた。面白そうです。
今度本を探して読んでみます。
とりあえず模索するというのは主題を変えるということじゃなくて,主題も定めていない状態での主題の模索だと理解しています.
削除松下くんの記事にありましたが,本来やっぱり主題は一度定めたら変えたらいけないものなのだと思うんです.ただ社会科学分野だと,十分に適切な主題を見つけること自体が非常に難しいことだと思います.
だから主題レベルの変更をせまられる機会が多々生じる.だからそれでよくわからなくなるのかなと思いました.
…と書いていてまた分からなくなってきました.笑
やっぱりこの分野はもう少し整理して理解する必要があるように感じます.
科学哲学は戸田山和久さんと伊勢田哲治さんの本がおすすめです.
持っているので今度貸しますね.
川口くんの連携研究室のM1くんも持っていたので,そちらからも借りれるかもしれないですね.
なるほど。
削除主題が変わっていいかは、多分その主題が大目標なのか、その大目標へ向けるための小目標なのかにもよりそうだね。
研究に限った話じゃないけど、こういうことはいろんな事情が絡んでくるから、柔軟に考えないといけないのかもしれない。
難しいなぁ